山車紹介

平成29年度 奉納山車
 
平成29年度奉納山車のご紹介です。
 

壱番山車

岩崎区

大谷 吉継 (おおたに よしつぐ) ※渡り初め 5月13日(土)15:00~

現在の山車屋台制作の年代は、古文書に『明治30年(1897年)白木造りで再調』と記されていることから、

今年で120年が経過しています。

水引幕は、昭和56年(1981年)に新調したもので、

丹後ちりめんの白生地に当時京都在住の動物画の大家(特に猿の絵が得意)である今尾画伯が直筆したものです。

当区の山車人形づくりは、昭和56年に初めて区民の手で制作して以降、

青年部と婦人会が中心となって自主制作を行っています。

今年は第13作目として、福井県にゆかりのある越前敦賀城主であった「大谷 吉継」を制作しました。

大谷吉継はNHK大河ドラマ「真田丸」に石田三成、真田信繁(幸村)の盟友として登場し、

また、関ケ原の戦いでは、御輿に乗って戦った西軍の武将として有名です。

囃子方の子どもたちとともに区民一丸となって奉納し、山車巡行の先陣を飾ります。

 

弐番山車

中元区

竹抜 五郎 (たけぬき ごろう) ※渡り初め 5月13日(土)15:00~

中元区の屋台は、慶応3年(1867年)に西川安右ヱ門、井田一洞斎の手により制作されたもので、

当時発達し円熟した三国の工芸技術の特徴を十分に示した貴重なものです。

あわび貝などの真珠のような光を放つ貝殻を文様に切って、

木地や漆塗り面にはめ込んだり、張り付けた螺鈿の細工が施され、

飾り金具が付けられた初代井田一洞斎の技術の粋が集められています。

また、巡行の際には氷川神社まで取り付けられる金糸が織り込まれた屋台を飾る水引も見事なものです。

今回の山車人形は「日本三大仇討ち」の一つで、歌舞伎でも有名な「竹抜 五郎」です。

練習を重ねた子どもたちの「通り囃子」と「戻り囃子」の太鼓の音色の違いをお楽しみください。

 

参番山車

三国祭保存振興会

徳川 家康 (とくがわ いえやす) ※渡り初め 5月13日(土)15:30~

三国祭保存振興会では、伝統ある三国祭を町民の手で守りながら、

三国町だけのものではなく、坂井市全体の三国祭として継承していく活動、

山車人形制作も町民の手による後継者育成のための活動も行っています。

今年も山車人形制作部会『山車(やま)の会』が昨年に引き続き、

昭和時代の人形を復元制作し、往年の人形師の活躍を偲びます。

題材は戦国時代から安土桃山時代にかけての武将で江戸幕府の初代征夷大将軍「徳川 家康」を奉納致します。

また、囃子方は広く町内の小学校3年~5年から公募した7人が厳しい練習の成果を披露いたします。

 

四番山車

滝本区

加藤 清正 (かとう きよまさ) ※渡り初め 5月13日(土)13:00~

四之部の山車巡行は、三国龍翔館の資料によると、明治26年から滝本町として参加したのが始まりで、

今年で25回目の奉納となります。

現在の屋台は、大正10年、井田一洞斎によって制作されたと言い伝えられ、

四之部十区で共有し、各区が輪番で奉納に使用しています。

今年は、「虎退治」で有名であり、

「賤ヶ岳(しずがたけ)の七本槍」のひとりに数えられる「加藤 清正」の人形を奉納します。

猛将のイメージが強いですが、一方で築城の名手としても有名です。

特にその居城である熊本城は難攻不落の名城として知られています。

残念ながら石垣が昨年の熊本地震で大きな被害を受け、現在復旧作業中です。

その応援も込めて奉納いたします。

 

五番山車

上八町

忍者 児雷也 (にんじゃ じらいや) ※渡り初め 5月13日(土)14:00~

今年のテーマは「思い出」です。

昭和20年代、30年代は映画の時代でした。

特に時代劇の忍者「児雷也」、「猿飛 佐助」、「霧隠 才蔵」などが人気で、当時の子どものヒーローでした。

正義の味方の「児雷也」は、肥後の国の豪族の子、「尾形周馬弘行」がその正体とされ、

ガマの妖術を使い、ガマに乗って現れます。

妻はナメクジの妖術を使う綱手姫で、宿敵は青柳池の大蛇から生まれた悪者「大蛇丸」です。

ガマの児雷也、ナメクジの綱手姫、ヘビの大蛇丸で三すくみと言われています。

児雷也は、今でも歌舞伎や芝居などで活躍しています。

 

六番山車

下台区

柴田 勝家 (しばた かついえ) ※渡り初め 5月13日(土)14:00~

当区の屋台は、昭和63年の当番年に合わせ上台区と共用にて新造したものです。

本年度は戦国時代から安土桃山時代の武将で

瓦割柴田、鬼柴田など数々の逸話が残されている越前ゆかりの「柴田 勝家公」を奉納させていただきます。

北陸方面の司令官を任された勝家は猛将柴田として知られていますが、

軍人としての柴田より政治家としての柴田の方が有能であり、よく知られていたとの話が残されています。

武闘派としての発想ではなく、合理的かつ柔軟な発想のできる人として伝わっています。

それを我々が後世まで伝える必要があるのではないでしょうか。

越前の国の礎を築いてくれた柴田勝家公に敬意を表し、人形師岩堀雄樹氏の会心作とともに

三国の街を練り歩きます。

平成28年度 奉納山車
 

平成28年度奉納山車のご紹介です。

 

壱番山車

森町区

弁慶(べんけい)


森町区は、三國湊の総鎮守である山王宮(現三國神社)の門前町として繁栄し、

山王森町とも、山王町とも呼ばれた区です。

また、明治に入るまでは、今の三国祭は山王祭と呼ばれておりました。

この森町区は、現在戸数34戸、人口107人の小さな区でありますが、

3年に1度の山車奉納に向けて、笛と三味線を担当する青年会、

そして、太鼓を担当する子ども会をはじめ、区民一丸となって取り組んでいます。

 

今年の山車は「弁慶」です。

前回の「源義経」を引き継ぎ、屋島の戦いを題材に、薙刀を振りかざし、

義経軍の先方として平氏に立ち向かう弁慶の豪快な姿を表しています。

また、この作品は、人形師の若き後継者「岩堀雄樹」氏の制作であり、

平成28年の三国祭の山車巡行の先陣を飾ります。

 

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弐番山車 

玉井区

浅井長政(あざいながまさ)


現在の山車(屋台)は、昭和48年(1973年)白木造りで制作されたもので、

平成7年(1995年)蒔絵漆塗りで大掛かりな改修を行いました。

当区は、みくに龍翔館によると、江戸時代は上町、加美町と称され

山車は2年に1度奉納されましたが、明治7年(1874年)以降は玉井町となり、

昭和12年(1937年)より当区と中元区、大門区でそれぞれ3年に1度の奉納となりました。

なお、屋台正面に取り付けの町名額は、

明治31年(1898年)当時の明治神宮宮司の「鷹司信輔」氏直筆のもので、

当区の貴重な資産でもります。

 

平成19年、平成22年、平成25年と3回「朝倉義景」公を奉納しましたが、

今回は同盟を組んでいた「浅井長政」公の山車を奉納いたします。

 

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参番山車 

三国祭保存振興会

遮那王(しゃなおう)と武蔵坊(むさしぼう)


三国祭保存振興会では、伝統ある三国祭を町民の手で守りながら、

三国町だけのものでなく、坂井市全体の三国祭として継承していく活動や、

山車人形制作も町民の手による後継者育成のための活動も行っています。

 

今年も山車人形制作部会「山車(やま)の会」が昨年に引き続き、

昭和時代の人形を復元制作し、往年の人形師の活躍を偲びます。

題材は昭和3年に下台区から奉納された牛若丸と弁慶「遮那王と武蔵坊」の

二つ人形(二つ山車)を制作いたしました。

 

また、囃子方は広く町内の小学校3年~5年から公募した7人でつとめます。

 

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四番山車 

滝谷区

真田信繁(さなだのぶしげ)




今を去ること400年前、大坂の陣で最強の砦「真田丸」で

赤備えの装備と六文銭の旗印を掲げ、

一族の誇りを賭けて小勢力ながら徳川家康をあと一歩まで追い詰めた「真田信繁(幸村)」。

その戦いぶりから「日本一の兵」と称えられ、真田の名を世にとどろかせ、

戦国時代最強の智将として戦国有数の人気を誇り、

今回ドラマ化されたこともあって武者人形に選定しました。

 

明治4年(1871年)に丸岡藩滝谷出村は福井藩三国湊と合併し、

これを機会に三国祭の山車巡行に加わりました。

現在の山車屋台は大正10年(1921年)に井田一洞斉によって制作されたものと記されており、

四の部10町内(区)で共有し、5年に1回の当番で本年は滝谷3区(西滝谷・仲滝谷・浜滝谷)が奉納します。

 

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五番山車 

上西区

水戸光圀(みとみつくに)


 

水戸家第2代藩主。徳川頼房(家康の第11子)の三男。

6才で世子となり江戸の水戸藩邸に移る。

兄を差し置いて世子となった事に心を置き、

隠居後は自分の子があったにもかかわらず兄の子綱條(つなえだ)に職を譲る。

学識のある大名として知られ「大日本史」の編纂などを手掛ける。

全巻の完成は明治になっても水戸家に引き継がれる。

余話として、光圀死去の報が江戸士民に伝わると

「天が下二つの宝尽き果てぬ。佐渡の金山。水戸の黄門」という落首が作られたほど、

水戸黄門光圀の死を悼む江戸っ子が多かったと聞く。

そうした空気が光圀を偶像化し、江戸後期に「義公黄門仁徳録」を作らせ、

それが明治になって講談界で一躍「水戸黄門漫遊記」に発展したのであろうと言われている。

 

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六番山車 

南末廣区

羅生門の鬼(らしょうもんのおに)


時は平安、京の都の朱雀大路の羅生門に人々を苦しめる悪鬼が現れました。

勅命を受けた源頼光は「渡辺綱」を羅生門に向かわせます。

勇猛豪胆で知られる渡辺綱は悪鬼に戦いを挑み、見事その腕を切り落とし、持ち帰りました。

後日、伯母が現れ「鬼の腕を見せてほしい」と執拗にせがんできました。

最初こそ断っていたものの、その熱意に折れて、鬼の腕を見せてしまいます。

これ絶好の機会とばかりに伯母は鬼に姿を変え、腕を奪い去りました。

ご存知「羅生門の鬼」の名場面です。

この山車は35年前南末廣区で奉納した(今回制作を依頼した岩堀雄樹氏の祖父、故薫氏が制作した)山車の再現です。

若き三代目人形師の意欲作をお楽しみください。

 

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平成27年度 奉納山車
 
四日市区

1番山車 新田義貞

四日市区の山車は『新田義貞 「決戦」 』です。 

新田義貞公は鎌倉幕府末期から南北朝時代にかけての武将で、

鎌倉幕府滅亡後、後醍醐天皇の命により足利尊氏追討に向かい

越前燈明寺畷(現:福井市灯明寺)で決戦となり、壮烈なる戦死を遂げました。

当区では、『新田義貞公』シリーズを前回、前々回に引き続き奉納します。

今回の山車は越前燈明寺畷で壮烈なる戦死を遂げた新田義貞公を崇め、『新田義貞 「決戦」 』としました。

また、当区では昨年守り神の住吉神社改修を行いましたので、お通りの際はお立ち寄りください。

 


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大門区

2番山車 織田信長

3年周期で廻ってくる山車当番、

36年前に当時の大門協会が自主制作を始めてから13基目の山車人形となります。

毎回大門協会(若い衆)、婦人会が中心となり有志の集まりで制作してきました。

今年は、『織田信長』です。織田信長は何度も山車としていろいろな地区で制作されてきましたが、

今回大門区では今までにない西洋風の甲冑姿の織田信長を表現しました。

まさに『魔王』といった仕上がりになっています。

また大門区は、拡声器を使用しない昔ながらの山車巡行を行っています。

こういった事が、三国祭を盛り上げる基盤ではないでしょうか。

祭り大好き人間の集まり、大門区であります。

 


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三国祭保存振興会

3番山車 大石内蔵助

三国祭保存振興会は伝統ある三国祭を町民の手で守りながら、 

三国町だけのものではなく坂井市全体の三国祭として発展継承していく活動、

また山車人形制作も町民の手による後継者育成活動を行っています。

今年も山車人形制作部会『山車(やま)の会』が昨年に引き続き、

昭和時代の人形を復元制作し、往年の人形師の活躍を偲びます。

題材は昭和2年に森町区より奉納された赤穂浪士の大石内蔵助の血判状です。

また、囃子方は広く三国町内の小学校3年生から5年生で公募した10人が担当します。

 


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真砂区

4番山車 本多成重 

「一筆啓上 お仙泣かすな 馬肥やせ」に出てくる「お仙」として知られる本多成重は、

徳川家康の武将で「鬼作左」と異名をとった本多重次の長男。

慶長18年(1613年)に松平忠直の付家老という立場で丸岡城に入城しました。

それから400年を記念して今年の武者人形に選びました。

寛永元年(1624年)には46300石の丸岡藩が誕生し、丸岡藩初代藩主となり一大名に昇格しました。

藩政の基礎を固めるために城下町の建設や治水事業などにも尽力しました。

四の部の屋台は大正10年(1921年)井田一洞斎によって制作されたものと記されています。

明治4年(1871年)丸岡藩滝谷出村は福井藩三国湊と合併し、

坂井港と称することとなり、以後三国祭の山車巡行に加わるようになりました

 

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桜町区

5番山車 永代櫻 

宝暦3年(1753年)当時の木場町と今町では、

三國神社の社地桜谷の桜から因み、永代桜を飾った山車を曳きだしました。

これが飾り山車の奉納の初めといわれています。

この後、趣向を凝らした武者人形を飾ることが主流になってきました。

安永3年(1774年)木場町と今町も、恒例の永代桜ではなく、武者人形を乗せた山車を奉納したところ、

10月の宵宮に木場町をはじめ上八町一帯を焼き尽くす大火が起こり、

これは火伏せの願いを込めて永代桜を奉納した初心を忘れたことへの神罰とおそれ、

以後現在まで、山車番には「永代桜」を奉納するようになりました。

山車番以外の年は桜花の枝を区民が作って、神前に奉納し、鎮火のお守りとして各戸に配布しています。

 


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元新区

6番山車 曽我五郎時致 

現在の屋台は、骨格部分が文政12年(1829年)に制作されたものです。

その特徴は、中国風の赤い高欄が屋台の上欄に取り付けてあることです。

この高欄は、万延元年(1860年)に志摩吉三郎(鴻斉)の作で、塗師は初代の井田一洞斎です。

水引幕は、明治24年(1891年)に制作されたもので綴織です。

また、町名額は、万延元年に制作され、額の字は、幕末の勤皇僧の滝谷寺・道雅上人の筆によります。

今回の山車人形は、歌舞伎18番「矢の根」曽我五郎時致(そがごろうときむね)で

車鬢(くるまびん)に仁王襷(におうだすき)という荒事のこしらえで豪快な人物姿です。

この場面は、古い矢の根の場で、亡父の仇を討つべく矢の根(矢じり)を研いでいるところです。

 


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